第6弾 BECAUSE / NOWHERE MAN | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() 1969年9月26日UK LP発売(Apple PCS-7088) |
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◆録音スケジュール 1969年8月1日 Abbey Road No.2st 14:30-22:30 Recording Take1~Take23 ジョージ・マーティンのエレクトリック・ハープシコード ジョンのE.ギター ポールのベース リンゴのハイハットはメトロノーム代わりで未録音 1969年8月1日 Abbey Road No.2 14:30-22:30 Recording ベストテイクのTake16へのダビング ジョンとポールとジョージのコーラス(この日は1回だけ) ハーモニーのアレンジはジョージ・マーティン 1969年8月4日 Abbey Road No.2 14:30-21:00 Recording ジョンとポールとジョージのコーラス(2トラック追加) 1969年8月5日 Abbey Road No.2 & 43号室 18:30-22:45 Recording Take16へのヴォーカル・ダビング ジョージによる、43号室にセットされたムーグ・シンセサイザー(2トラック) 1969年8月12日 Abbey Road No.2 19:00-26:00 Stereo Mixing Take16よりリミックス1~2 ◆8月1日、ジョージ・マーティンの弾くボールドウィンのスピネット型エレクトリック・ハープシコードにベース(Paul)、エレクトリック・ギター(John)でベーシック・トラックを23テイク録音。テイク16をベストとする。 . ◆リンゴはハイハットでソフトなビートを刻むが、ミュージシャンのヘッドフォンにメトロノーム代わりに流されただけで録音されていない。(マーク・ルウィーソン)。 ◆ジョージ・マーティンの弾くエレクトリック・ハープシコードはすべてアルペジオ奏法であり何回かのパンチインで繋いでいる。特に一か所半拍分音が抜けているところがある。2回目の「Sky is blue~」のあとの「Ah~」の部分 (2分8秒あたりのコードDの4拍目のF#)このCD-EXTRAでもその部分の音は抜いてある。また、一か所「Love is old~」の場所だけギターと音が違っている。 ◆この曲のエレクトリック・ハープシコードの演奏は、音の伸ばし方(サスティーン)の切り方がポイント。4拍目の頭でペダルを踏みなおしている。 ◆ギターはエピフォン・カジノ。演奏はすべてユニゾンでオーヴァー・ダビングしている。微妙なスタジオの空間の響きが、かなり重要なポイントになっている。 ◆ベストのテイク16へ、ジョン&ポール&ジョージがヴォーカル・ハーモニーをオーヴァーダビング。この日は19:30~22:30の間にジョージ・マーティンの指導により、3パート・ヴォーカルの最初のひとつを録音。 ◆8月4日にジョン&ポール&ジョージでさらに2回コーラスを録音、合計9声のハーモニーとなる。演奏部分を取り除いたアカペラ・コーラスを『Anthology3』で聴くことができる。 ◆このハーモニーでもビートルズお得意のメロディ・ラインの上下がクロスする場所がある。今回はジョンとジョージで毎回の「Turns me on」の伸ばしの部分。 ◆8月5日、18:30からのレコーディングでムーグ・シンセサイザー(George)をオーヴァーダビング。 ◆ある日ヨーコが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27の2「月光」をピアノで弾いた。ジョンは不意に思いついて「その辺を逆に弾けるかい?」。ヨーコがコード進行をひっくり返して弾いた音に創作意欲をかき立てられ、単純だが雄弁な歌詞をつけ「Because」を書きあげた。 ◆Beatlesのレコーディングに全部で4回登場したムーグ・シンセサイザーだが、この日が記念すべき最初の録音。 ◆『The Beatles』の録音終了直後からシンセサイザーに魅せられ始めたジョージ・ハリスンは1968年11月にMoog IIIp modular synthesiserを購入。 初期のムーグは化け物のような機械で、無数のワイヤーが絡み合う巨大なバンクと2層式のキーボードを備えていた。 ◆購入直後カリフオルニアで(B面 NoTime Or Space)、69年2月工ッシャーの自宅で(A面Under The Mersey Wall)録音したソロ第2弾『Electronic Sound』を、69年5月9日リリース。 評判は今1つだが、4人の中で「最もシンセに近い存在」だったことは確か。 ジョージは自分のシンセサイザーをEMIの43号室に持ち込む。 そこからモノ・ケーブルでコントロール・ルームに送られた。 プログラマーは「All You Need ls Love」のオーケストラを指揮したマイク・ヴィカーズ(マンフレッド・マンのインストゥルメンタリスト)。 ◆その後ムーグは、8月6日「Maxwell's Silver Hammer」でポールが演奏、8月8日「l Want You 」でジョンが演奏。それらの使用に続いてジョージにとっての2度目の演奏は自作曲の「Here Comes The Sun」に。リンゴ以外の3人が自作曲で試す。「音楽的」に使用するポール、「変な音」好きなジョンは主にSEとして使用。使用方法に性格が出て面白い。ストリングスまで入って完成したかに見えた「Here Comes The Sun」にムーグを被せる。鍵盤を弾くのではなく、リボン・コントローラー(リボンの上を指をスライドさせて音程をとる)で弾かれる。 ◆8月5日の録音の「Because」でジョージが2回ムーグを演奏して、テープに残されていた最後の2トラックを埋める。 ◆「BECAUSE」の収録されたアルバム「ABBEY RORD」は、「GetBack」セッションで、メンバー全員の気持ちがバラバラになってしまっていた4人を、ポールがなんとかビートルズを存続させようと、ジョージ・マーティンにプロデュースを依頼。再度レコーディングに臨む。 ◆当初のアルバム・タイトルは、ジェフ・エメリックが吸っていたタバコの名前からポールがつけた「Everest」。ジャケット写真もエヴェレストで撮影するというアイディアに誰かがヒマラヤまで行くのはごめんだ、という意見。その後ポールの提案したタイトル「ABBEY RORD」に決定。 ポール死亡説のもとになったジャケット写真は69年8月8日、10:00 EMIスタジオに集合、スタジオ前の「アビイ・ロード」で、イアン・マクミランによって11時35分から好意的な警官が車の通行を止めてくれている間に撮影開始。撮影された6枚の内、ベスト・ショットを採用。この時の6枚全てを「ANTHOLOGY」で見ることが出来る。 ◆テープ・オペレーターのクリス・プレアがいつも愛車モーリス・マイナーを停める場所に、たまたま停めてあったフオルクス・ワーゲンのナンバー・プレート「LMV28IF」が、ポールが「もし生きていたら28才」を暗示していると、これも死亡説に荷担した。ちなみに1986年のサザビーのオークションでこのフオルクス・ワーゲンに2300ポンドの値段が付いた。 ◆このアルバムに「Abbey Road」と名付けたことで有名になったEMlスタジオは正式には「EMlスタジオ」だった。、70年代に「EMI Abbey Road Studios」と改名した。 ◆8月20日、18:00から『Abbey Road』の曲順を決めるために4人が第2スタジオに集結。レコーディング・スタジオに4人が揃うのはこれが最後となった。 ◆アルバム・チャート初登場第1位(18週)。1年間で500万枚売り『Sgt.』の記録を200万枚更新。72年6月までに760万枚(72年10月EMl発表)。Beatlesのアルバムで最高。80年には1000万枚を突破、イギリスで史上最高の売上を誇るアルバムとなる。アメリカでは69年10月1日リリース。10月25日ビルボード・アルバム・チャート初登場、通算で11週首位をキープ、Top40には32週。Top100には70年9月まで約1年間。 |
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録 音 秘 話 |
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![]() 邦題「ひとりぼっちのあいつ」(Nowhere Man)、 「消えた恋」(What Goes On) のカプリングでシングル・カット発売された。 発売当時の価格は¥370 1966年2月21日USシングル発売(Capitol 5587) 1966年4月15日日本シングル発売(OR-1510) |
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◆録音スケジュール 1965年10月21日 Abbey Road No.2 st. 19:00-24:00 Recording テイク1~テイク2 リハーサル後、2テイクを録音するがテイク1は失敗、 テイク2はエレクトリック・ギターのリズム・トラックを録音。 3声ハーモニーを入れるアイデアがあるのみ。 翌日リメイク。 1965年10月22日 Abbey Road No.2 st. 14:30-19:00 Recording (リメイク)テイク3~テイク5 19:30-23:30 Recording (テイク4へVocal D.B.) 1965年10月25日 Abbey Road No.2 st.コントロール・ルームのみ 10:00-13:00 Recording (モノ・ミックス)テイク4から 1965年10月26日 Abbey Road No.2 st.コントロール・ルームのみ 10:00-13:00 Recording (ステレオ・ミックス)テイク4から ◆この時期ビートルズはドラッグの影響とスタジオの知識が増えた事により、音楽的な進歩が著しかった。 レコーディング・スタジオのあらゆるテクニックを試した時期だった。 ◆タイトルの『ラバーソウル』はポールが考えた。年取ったブルース・マンがミック・ジャガーに言った、「音楽は悪くはないが、それじゃまるでプラスティック・ソウルだな。」という言葉から、ゴム底(rubber soled)とソウル・ミュージックをかけてつけられた。 ◆ライナー・ノーツなどや解説書などでジョンの一人三重奏などと書いてあるものがあるが、あきらかにジョン、ポール、ジョージの3人でのハーモニーである。3人のパートはそれぞれダブルで録音されている。 ◆ジョン :意味あるシリアスな歌詞を書きたくて、朝になるまで5時間ぐらい悩み続けたんだ。ああ、もうお手上げだってあきらめたよ。その時思ったんだよ。僕はひとりぼっちだってね。Nowhere LandにいるNowhere Manだって。そしたらふいに「ノーウェア・マン」の歌詞とメロディが浮かんできた。 ◆ポール :「翌日、僕が曲作りのために家に行ったら、ジョンはソファでうたた寝中で、ぼんやりしていた。あれはジョンによるアンチ・ジョンの歌。後になって、あれはどん詰まりになっている自分を歌った曲だと教えてくれた。あれは彼の結婚生活を歌ったものだと思う。彼はあの時期、自分の状況に満足していなかった。でもいい曲だ。第三者の立場で書きながら、“彼は、君や僕に似ていやしないか?”というのが上手いよね。最後になって“僕”が出てくる。ジョンの中でもいい作品のひとつだね。」 ◆ジョージ :『ラバー・ソウル』は一番好きなアルバムだね。ビートルズのアルバムの中ではベストだと思うよ。いいアルバムを作ろうっていう意気込みがあったしね。いろんなことが開花した時代で、僕らも成長の真っ只中にいたんだ。「ノーウェア・マン」はいい曲だよね。 ◆リンゴ :『ラバー・ソウル』ではありとあらゆる実験をしたよ。ドラッグのせいもあるだろうね。ジョージ・マーティンはそのことを知っていて、よく怒ってたよ。本気で怒った訳じゃないけど、“またか”って感じだった。何をやるにも時間がかかるからさ。 ◆ジョージ : 僕はStratocasterを手に入れたかった。ジョンも同じものを手に入れようとしていたから、マル・エヴァンズに買ってくるように頼んだ。彼は青白い色のを2本持って帰ってきた。 『Rubber Soul』ではずいぶん使ったよ。最も特徴的な『Nowhere Man』のソロはジョンと僕とがユニゾンで弾いたんだ。 ◆間奏の最後のハーモニクスは1弦5フレットのA。 ◆ビートルズの冒険心はアルバム・ジャケットの写真にまでおよんだ。 ジャケット写真をチェックしている時に、たまたま映写したスライドがゆがんだのを「これだ!」といって選んだものだった。アイドル時代は終わり、もっと幅広い音楽に挑戦したいという意識の表れだった。 ◆1966年の武道館公演で演奏された。この日本公演で演奏された『ラバーソウル』の中からの曲は「Nowhere Man」,「If I Needed Someone」の2曲。 |
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録 音 秘 話 |