第4弾 A HARD DAY'S NIGHT / IF I FELL | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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![]() 1964年8月5日発売 アメリカ発売は1964年6月26日「United Artist UAS-6366」 映画のサウンドトラック盤としてユナイテッド・アーティストから発売された。日本やイギリスとは内容が異なり「リンゴのテーマ」など映画で使われたジョージ・マーティン・オーケストラのトラックが収録されている。たまたま、渡米していた友人が、アメリカ発売直後に帰国し、このアルバムをおみやげとしてくれたおかげで、日本ではかなり早い時期に手に入れることが出来、ラジオのオン・エアよりも早く聞くことが出来たのも嬉しかった想い出である。 |
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◆イギリスでは1964年7月10日にシングルがリリースされ5日後にはナンバー1となり、4週間その位置ををキープした。ザ・ビ−トルズ初の全曲がオリジナル曲で構成されたアルバムで、映画[A hard day's night]のサウンド・トラック・アルバムの中の1曲である。アメリカではユナイテッド・アーティスツから映画のサウンド・トラック盤として映画で使用された7曲に、映画からはずされた「I'll Cry Instead」(イギリス盤よりも長いバージョン)を加えたビートルズ演奏の8曲とジョージ・マーティン・オーケストラの4曲で構成されたアルバムをイギリスよりも早い1964年6月26日にリリースした、[A hard day's night]というフレーズは映画はほとんど出来上がっていたが、まだタイトルが決まっていなかったある日、リンゴが長かった撮影のあと誰かに“It's been a hard day”(忙しい日だった)と言いかけて、もうとっくに夜になっていることに気づきその後に“'s night”をくっつけたのがその時の状況にぴったりというところから正式タイトルに決まった。 ◆但し、このフレーズはジョンが出版した「In His Own Write」に収録の短編「Sad Michael」の3行目の「He'd had a hard days night that day, for Michaell was a Cocky Watchtower.」の中ですでに使われている。 ◆このことでジョンとポールは初めて、すでにタイトルが決まっている曲を書くという難題を抱えたが、例によって簡単にこれをクリアし、作曲、アレンジ、レコーディングのすべてを1日ちょっとの時間で終了させた。 ◆ジョンは1980年のプレイボーイ誌のインタビューで “車で家に帰る途中、ディック・レスターがリンゴの言ったことから、[A hard day's night]を映画のタイトルにしようじゃないかと言い出した。それは僕が「IN HIS OWN WRITE」の中で使った言葉だった。でも、それはリンゴが不用意に言ったことで、おかしな言い間違いだったんだ。で次の朝、僕は曲を持っていったんだ。その頃、ぼくとポールの間で、どっちがA面をとるか、ヒット・シングルを生むかということで、ちょっと張り合っていたんだ。初期の映画のタイトル曲も他のも、ほとんど僕がシングルをとっていた。僕自身それに気がついて、気になりだした頃からだな、ポールがグループの中心になってきたのは。ちょっとやりすぎだなと思うくらいにね。でも、初期の頃は僕がグループの中心だった。特にシングルのヴォーカルではね。「ラブ・ミー・ドゥ」以外はみんな僕が歌っていたからね。すべてのシングルは、僕が書いたか、歌ったか、それともその両方だった。ポールが「ハード・デイズ・ナイト」を歌ったのはキイが僕には高すぎたからにすぎなかった。“と答えている。 ◆この時期は解散の後のジョンとポールの確執がまだ残っていた頃なので多少ポールへの嫌みも含まれていたと思う。ポールの歌っているサビの部分はかなりポールらしいメロディラインが感じられるので、この時期の他の曲のように二人で作り自分で作ったパートを自分で歌ったのだろう。 ◆2ヶ月前の1964年2月の初のアメリカ公演の際、リッケンバッカー社長F.C.ホールからプレゼントされた12弦ギター360/12をアルバム13曲中、7曲に使用しリッケンバッカー360/12を世界中のミュージシャンに印象づけた。ビ−トルズに影響を受けバンドを結成しこの12弦を手に入れ「ミスター・タンブリンマン」の大ヒットをとばしたバーズの様なグループも沢山現れた。 ◆この12弦ギターは副弦が下という他の12弦ギターとは異なる並びのためアタックのある独特サウンドが得られる。 ◆ジョージ・マーティンが「映画とサウンドトラックの両方の冒頭を飾る曲だから、特に強い効果的な始まりにしたかった。あの不協和音のギター・コードは完璧なオープニングだったよ。」と言った印象的なイントロで始まる。 ◆そのイントロのジャーンの音の分析に関してはいろいろな説があるが、このCDに関しては下記の音の組み合わせでレコーディングしている。 ◇ドラムスはキック・スネア。 ◇ベースは2弦7フレットのA、3弦5フレットのD(但しへフナーは倍音が出るためほかのベースではこの感じにならないかもしれない)。 ◇ギターに関しては リッケンバッカー360/12が1弦の3フレットのG、2弦は1フレットのC、3弦は2フレットのA。 ギブソンJ160Eでは1弦は3フレットのG、2弦は1フレットのC、3弦は2フレットのA、4弦5弦は開放、6弦は1フレットのF。 グレッチ・カントリージェントルマンおよびリッケンバッカー325は12弦と同じ。 ◇ピアノは低音のDとAおよび中音のF、G、C。という組み合わせである。 ギター一本でこの感じを、出したいときは一番近い音だと思うのは1弦の3フレットのG、2弦は1フレットのC、3弦、4弦、5弦は解放、6弦を1フレットのFを押さえて、強く弾くと近いイメージの音が出るので一度試して貰いたい。エンディングのアルペジオの一発目に重なる音もこの音である。 ◆ハードデイズナイトのレコーディングの際の全テイクを聴くとジョンのカウントはあくまでもイントロのジャーンから唄に入るまでのきっかけに対するカウントであって曲のテンポとは全然違っている。唄い出したとたん、かなりカウントより遅いテンポになる。 ◆今回、レコーディングの前に音の分析をしていて、今まで常識的に12弦ギターで弾いたと思われていた間奏のギターについて面白いことが解かった。 通常言われていたのはテープスピードを半分に落とし、ピアノをダビングしたうえに、12弦ギターをオーバーダブしたと言われていたのだが、実際はピアノに関しては普通のスピードで弾き、テープの回転を半分にして、グレッチのローポジションの1弦から3弦で開放のポジションを使って弾いているのである。間奏には12弦ギターは使われてはいなかったのである。ジョージ・マーティンのピアノがスピードがついていけないからだとか、いろいろな説があったのだが分析してみると、原因はやはりジョージ・ハリソンが12弦ギターできれいに音が出せなかったために、ピアノとグレッチで12弦の効果を出そうとしたものだと思われる。スピードを半分に落としたテープにオーバーダブしたグレッチも2回あるフレーズの最後の音が2回とも違うミスタッチをしている。(タラリ・タラリ・タラリ・タラリ・タラタ・タンタンという感じのフレーズ)。 ◆このCDでもテープ・スピードを半分に落としてグレッチで録音し、ミスタッチもそのまま再現している。 リッケンバッカーの12弦は開放弦の音とハイポジションの音ではチューニングを相当きびしくやってもピッチが変わってしまうことも原因のひとつかもしれない。 ◆ジョージのために弁解しておくとライブでは12弦ギターで間奏を弾いているがかなり上手く弾いている。 ◆イントロのジャーンに関してはかなりたくさんの人が様々な分析をしていたが、間奏に関しては12弦を使っているという先入観のためか、このことに触れているものはひとつもなかった。 ◆ザ・ビ−トルズの「A HARD DAY'S NIGHT」の録音スケジュールは ◇64年4月16 日 Abbey road No.2st. 10:00〜13:00 Recording第1〜9テイク、完全バージョンは5つ、第9テイクがベストでトラック1はベーシックリズム、トラック2はジョンのボーカル、トラック3はジョンの2ndボーカル、ポールのバックボーカル、ボンゴ、ドラムス、アコースティックギター、トラック4はエンディングのギターとジョージマーティンのピアノ ◇64年4月20日 Abbey road No.2st. 14:00〜15:15 Mono MixingおよびStereo Mixing第9テイクより、映画のサウンドトラック用としてユナイテッド・アーティスツに渡す ◇64年4月23日 Abbey road No.2st. 16:30〜17:45 Mono Mixing 第9テイクよりレコード用OKテイク(リミックス10と呼ばれた) ◇64年6月9日 Abbey road No.3st. 14:00〜17:45 Mono Mixing 第9テイクより映画用のためのユナイテッド・アーティスツ用、エンディングの長いバージョン ◇64年6月22日 Abbey road No.1st. 11:30〜13:00 Stereo Mixing 第9テイクより ◇64年8月23日 Hollywood Bowl Live Concert 29分ステージ Live Recording3トラックレコーディング ◇64年8月27日 キャピトル・レコード・スタジオ Stereo Mixingハリウッド・ボウルの録音のラフ・ステレオ・ミックス、2トラックにミックス・ダウンし、イコライザーとリバーブ・マシン、リミッターで処理する。 |
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録 音 秘 話 |
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![]() 日本デビュー以降、1964年は2月5日に1枚、3月5日に1枚、とくに4月、5月は4月5日に3枚、5月5日に3枚6月5日に1枚、8月5日に1枚、9月5日に1枚、10月5日に1枚、11月5日に1枚、と13枚のシングル発売、4月5日にアルバム「Meet The Beatles」、6月5日にアルバム「The Beatles Second Album」、9月5日にアルバム「A Hard Day's Night」の3枚のアルバムが発売された。同一アーティストのリリースとしては異常な数字であった。 1964年10月5日 |
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◆ジョンの1980年のプレイボーイ誌のインタビュー“初めてバラードらしいバラードを書いてみようという曲だった。「イン・マイ・ライフ」がバラードとしては最初だけど、この曲もそれと同じコード進行になっている。DからDマイナー、Eマイナーとただくりかえす、あの手のやつさ。これは半自伝的な曲だ。歌の中に出てくるその女とのね。・・・・でもCYN(THIA)のことじやない。50年代風のイントロがついている。(歌う)ポールが真ん中の8小節を助けてくれたと思うんだ。ぼくもセンチメンタルなラブ・バラード、つまらない恋の曲を書いたんだってことさ、その昔にはね。” ◆ジョンのデモ・テープを聴くと、歌詞はほぼ出来上がっている。歌い出しの部分はまったく同じ。Aメロはポールのパートを歌っていて、サビの「'Cause I couldn't 」からはレコーディングされたジョンのパートを歌っている。当初、ジョンの低いパートが主旋律だったと思われる。デモテープの「was in vain 」から「So I hope you see」に移るところに「woho-ho-o-ho」のようなフェイクっぽいメロディがあり、エンディングではレコーディングにはないちょっとポップなエンディング・メロディが入っている。 ◆1964年2月27日 Abbeyroad No.2 スタジオで10:00〜13:00の「And I Love Her」と「Tell Me Why」の収録後14:30〜17:30のセッションで「If I Fell」が録音された。 ◆Mark Lewison著の「Recording Sessions」では《「If I Fell」は「This Boy」を発展させた曲と見なしていいだろう。コード進行も、ジョンとポールのハーモニーも、かなり込み入っている。このハーモニーは2人の要望により1本のマイクで録音された。15テイクを録るうちに、曲がだんだん練りあがってくる。ジョージ・マーティンのアドバイスを受けて、第3テイクからドラム・サウンドがヘヴィになり、第11テイクではオープニングにジョンのパンチの利いたアコースティック・ギター、エンディングにジョージのハードなリード・ギターが加えられた。このテイクのあと、ジョージ・マーティンが「こんな感じにしたいんだろう?」と尋ねているのに対し、第14テイクの最後にはジョンの「ケツがモゾモゾしちゃう」という声が入っている。この曲は第15テイクをもってレコーディングを完了した。》の記述がある。 ◆ザ・ビ−トルズの「IF I FELL」の録音スケジュールは ◇64年2月27日Abbey road No.2st. 14:30〜17:30 Recording 第1〜15テイク、ジョンとポールのボーカルは1本のマイクで録音、第3テイクよりドラムスがヘビーになる、第11テイクでオープニングのジョンのギターとエンディングのジョージのギターが入る ◇64年3月3日Abbey road No.1st.(コントロール・ルームのみ)10:00〜13:45 Mono Mixing(第15テイクより) ◇64年6月9日 Abbey road No.3st. 14:00〜17:45 編集 キャピトル・レコードとユナイテッド・アーティスツ用にモノテープコピー ◇64年6月22日 Abbey road No.1st. 11:30〜13:00 Stereo Mixing (第15テイクより) ◇64年8月23日 Hollywood Bowl Live Concert 29分ステージ Live Recording3トラックレコーディング ◇64年8月27日 キャピトル・レコード・スタジオ Stereo Mixingハリウッド・ボウルの録音のラフ・ステレオ・ミックス、2トラックにミックス・ダウンし、イコライザーとリバーブ・マシン、リミッターで処理する。 |
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録 音 秘 話 |